チェックリストは面倒で、儀式的に思えるかもしれません。しかし、プロフェッショナルであればあるほど、それを疎かにはしません。
手術の合併症の約半分はavoidable(回避可能)と言われています。ハーバード大学の外科医アトゥール・ガワンデ先生は、シンプルなチェックリストの導入によって手術の死亡率を47%低下させ、一流の外科医でさえパフォーマンスが向上することを証明しました(NEJM 2009)。
先日、ガワンデ先生の著書 『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』 を読みました。
この本では、航空業界、建築業界、料理人 などを例に、チェックリストの有用性を示しています。しかし、チェックリストの意義は単なるミス防止だけではありません。私が特に重要だと感じたのは、権力の分散 という視点です。
専門家たちの連携
高度に発展した分野では、専門家の中でもさらに細分化された「超専門家」たちで構成されています。一人のスーパーマンがすべてを監督するのは不可能であり、それぞれの分野の専門家が適切に状況を把握し、連携することが不可欠です。
しかし、日本の医療システムはこの考え方とは真逆です。
- 執刀医が全責任を負う
- 休日・夜間に急変すれば執刀医が必ず駆けつけるべき
この「全責任を一人に集中させる」構造は、主治医にも当てはまります。
こうした仕組みでは、周囲のスタッフの当事者意識が薄れ、かえってミスが生じやすくなります。また、「俺が責任をとる立場なのだから、俺の言うことを聞け」という独裁的な態度を助長することにもつながります。
結果、本来ならチームとして機能すべき手術が、「指示を待つ人々」と「重圧を背負う執刀医」の構図になりかねません。
権力が集中すると、重大なミスを招く
職種間の権力や責任の偏りが失敗につながる例として、マシュー・サイド著『失敗の科学』 では医療事故が紹介されています。
手術中、急変した患者に対し、熟練の医師が気道確保のために挿管に固執しすぎてしまいます。
しかし、周囲のスタッフは「この方法は良くない」と感じつつも、権力の勾配が強いため口出しできなかったのです。
結果として、患者は低酸素状態に陥り、命を落としてしまいました。
「一流の専門家だから大丈夫」ではありません。むしろ、一流だからこそ独断を防ぐ仕組みが必要なのです。
チェックリストがもたらすのは「責任の分散」
チェックリストは、単なる確認作業ではなく、関わる人々の責任を明確にするツールでもあります。
例えば、
- 私はバイタルを確認する
- 私は透視装置を管理する
といった形で、執刀医以外の役割を明確化できます。さらに、チェックリストを完了しない限り手術を開始できないとすることで、執刀医への権力の過度な集中を防ぐことができます。
実際にチェックリストの導入によってスタッフ感のコミュニケーションの点数の上昇も確認されており、執刀医の独壇場を防ぐ大事なシステムなのでしょう。
日本の医療は「スーパーマン頼り」のままでいいのか?
医療の世界にいると気づきにくいのですが、他の分野では専門が細分化された結果、一人に責任を集中させない仕組みが整っています。
では、日本の医療はどうでしょうか?
まだ専門分化が進んでいない遅れた分野なのでしょうか?
それとも、すべてをこなせるスーパーマンが奇跡的にあふれているのでしょうか?
少なくとも後者であるはずがないと思います。医師一人の力には限りがあります。
チェックリストは「確認作業」ではなく、「コミュニケーションを促すツール」「責任を分散し、力の偏りを防ぐシステム」としても活用したいものです。
参考文献
Alex B Haynes et al. A surgical safety checklist to reduce morbidity and mortality in a global population. N Engl J Med. 2009 Jan 29;360(5):491-9.
アトゥール・ガワンデ著『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』

マシュー・サイド著『失敗の科学』

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